柳瀬唯夫首相秘書官の「記憶の限りでは会ってない。」と
いう言葉は面白い。
「限りでは」という言い方がミソだ。
「会ったかもしれない。けれど記憶の限りでは会ってない」
という意味になる。
では、記憶以外にあった可能性があるかもしれないという
ことになる。
記憶には残っていないが、会ったことを自分は忘れている
のかもしれないという含意があるのかもしれない。
「おまえオナラしただろう?」
「記憶の限りではオナラしてない。」
「ニオイがするぞ。」
「してないと断言しないが、記憶の限りではしてない。」
「オナラした可能性はあるんだな?」
「してないとは断言しないが、記憶の限りではしてない。」
「お前がオナラした音を聞いたという人がいるんだぞ。」
「その人が嘘をついたとは言わないが、私の記憶の限り
ではオナラしてない。」
「嘘つき!」
「嘘つきというなら証拠を出してほしい。」
「嘘つきじゃないと言うなら、オナラしたとはっきり
言えばいいじゃないか!」
「オナラしたとも、オナラしてないとも、はっきり言う
ことはできない。なぜなら記憶の限りの話しかできない
から。」
「その場にいた者たちが、全員おまえがオナラしたと
証言したらどうする?」
「私がオナラしたと、全員の記憶にはあっても、私の
記憶の限りではオナラしてない。」
「微妙に正直だから、「記憶の限りでは」という留保を
つけてるな。その留保をとって、私はオナラしてないと
なぜ断言しない?」
「嘘つきになるから。」
「じゃ、本当はオナラしたんじゃないか!」
「そーとも言える。」